「くだんの限界」という公理

「くだんの限界」について検索して来る人がボチボチ居るので、ここで自分の見解を。
まず、「くだんの限界」とは何かというと・・・自分にもサッパリ分かりません。
おとなしく、作中でグレッグが言ってた通り「限界に達すると、物理宇宙が崩壊する」ものだという事を呑み込むしかない。
――ただし、「受け入れる」理由はいくつかある。

エウレカセブン「空想科学」ではなく「空想哲学」なので、理論に基づいた出来事である必要は全くない。
・・・まぁ、そもそも制作側が何も言わない場合、勝手にSFだのリアルロボット系だのと、枠組みに押し込む事は間違っているので、「○○モノだから」という理由を付けて、面白さを減らす必要はない。

そしてもう一つの理由は

  • 「くだんの限界」は、本当にトンデモなのか?

という事に在る。
とりあえず「くだんの限界」が実際に在るか無いか分からないから、作中で「在る」と語られているので「くだんの限界」という理論は在るという前提で話そう。
知性体が増えると、世界が崩壊するというこの理論。・・・これには多世界解釈が関わっていると思われる。
そもそも「くだんの限界」とは、情報力学の「量子情報」に関わる様なので、まず間違いないだろう。
それで、どのように関係するかといえば・・・「抽象的自我を持つモノが、観測した時世界は確定する」という件だろう。
つまり、このままだと観測する者――知性体が増えれば増える程、「世界」は増殖するということだ。
「無限の可能性」のままならば、「可能性」なので問題はないだろう。だが1万人居れば、世界は1万個『存在する』ことになる。
そして十億人なら十億個。1兆人なら1兆個・・・本当に世界は限りなく存在するのだろうか?
答えはNO。つまり、その限界こそ「くだんの限界」という事になる。*1

そして最後の理由。

  • そもそも、どうして受け入れられないのか?

「世界に限界がある」というところや、知性体が増えたぐらいで何故世界が滅びるのか?
という疑問で受け付けないのだろうけど・・・ならばビッグバンやブラックホールはどうだろうか?
二つとも世界的に認められている現象だが――ビッグバンは「高次元、様々な粒子が出来る程の爆発」、最近だと「次元の滴」が我々の空間に落ちたとか、充分トンデモな領域にいる。
ましてやB・Hなんて『永久に物質を吸い込み続ける=質量保存の法則を無視している』『並行宇宙に繋がっている』なんて代物だし、特異点に至っては『時間と空間が特定されない場』なんていうトンデモを越えてもはや冗談としか思われないモノである。

・・・だがほとんどの人は、それらをごく普通に受け入れている。
何故それを受け入れられて、「くだんの限界」は受け入れられないのか? ・・・それは一般的ではないから。自分の常識に当てはまらないから。
――全ての数学・理論は、公理という思い込みを信じることで成り立つ。
「くだんの限界」を受け入れられないのは、その公理が何か知らず、その公理を思い込めないから=感情的に納得出来ないからにすぎない。