天保異聞 妖奇士 説二十三

鳥居耀蔵が格好良いです。
偏見or間違った事だと分かっちゃいるけど、何か悔しい
やはり何かを「悪」としたいのだろうか? ・・・それは誰にでもある感情なのだろうか?

跡部と阿部はもちろん、そして(やはり)土井も水野忠邦の失脚を狙っている。
だけど・・・「何故」かが分からない
老中水野忠邦のやり方が間違っているのは分かる。出世したいのも分かる。・・・でも、彼等は出世して何がやりたいの?
もちろん、何かやりたい事があるけど、それを話していないだけという可能性もある。
でもさ・・・ウィキペディアで調べたところ、その可能性は薄いと思った。

  • 土井利位は昔は良かったものの、この後の水野失脚→老中就任→辞任の流れでは何もやってない。
  • 阿部正弘は何かやったのかやらなかったのか曖昧な感じがして、志(こころざし)なんて在ったか疑問。
  • 跡部良弼は酷いな!
    典型的な「悪い政治家」で、愚かとしか言いようがない。

だけど鳥居耀蔵は違った。
彼は日本を外国の手から守るという、確固たる決意があった。(・・・それが正しかったか、間違っていたかは誰にも分からないけど)
印旛沼の普請も、雨期に起きる水害や他国が攻めてきた時の為の供給線*1を造る為に必要な事だった。
――日本は鎖国を解いた際に「不平等条約」を交わすしかなく、そのせいで大勢の人が苦しんだ。
印旛沼普請や上知令で起きるかもしれなかった被害と、外国の「侵略」による犠牲。どちらが多かったかは分からない。
だが鳥居耀蔵は己の意志で行く道を決め、その為に全力を尽くしていたのは間違いない・・・

印旛沼に『黒坊主』が出る」と助けを求め江戸にやってくる太作。
奇士達はこれを退治しようとするが、上から「奇士は印旛沼に関わるな」と言われてしまう。
この件を報告した小笠原は、「印旛沼普請には鳥居が関わっているから放っておけ」と跡部に言われていたのだ。
――もともと小笠原は蘭学を認めさせる為、その蘭学で人々を救う為に妖夷と戦っていた。
だが蘭学を認めさせる為に、蘭学を取り締まる鳥居達を失脚させる為に、苦しむ人々を見過ごせという。
『古き民』との事もあって、もう小笠原は我慢の限界にきているな。

『道』という字が「首を魔除けとして使っていた」姿を表しているのは、二重影をやった人にとっては当たり前の知識ですが・・・首は呪術的な意味合いでもあったのかな?
バイキングやケルト人にも同じ様な風習があったみたいだけど、殺した=自分より弱い奴の首なんて脅しに使っていたとは思えない。見せしめならまだ分かるけど。
さて、「新たな『首』を目覚めさせる」為に『西の者』は呪符をバラまいた様だけど・・・何で「首」を目覚めさせるの?
「首」が目的って一体どういう事だ? 「首」って何かに使う為に使用する=手段じゃないのか?

太作が言った『黒坊主』は作り話だった――少なくとも初めのうちは
住む場所もろくになく、奴隷の様な重労働を課せられた生活。
それから逃れる為に『黒坊主』という架空の化物を創り出し、普請を中止させようと企んだ。
・・・しかしいつからか『黒坊主』が本当に現われ、病に臥せっていた者は蛙―――人と妖夷の中間の存在―――へと変貌してしまった。
嘘は実害を伴った現実へと変わった。
・・・だけど、それでも彼等は妖夷よりも普請の方が苦痛だったと思う。
印旛沼の件といい、跡部良弼達といい、真に恐ろしいのは人間という事か・・・

「蛙」になってしまった者達は人間に戻った途端、死んでしまった。
狂斎は「彼等はすでに死んでいて、札の力によって生き延びていた」と言うが――本当にそうだろうか?
もしかすると札の力によって生き続けていたのかもしれない。現代でいう医療器具の様に。
だから・・・もしかすると、往壓は彼等を「解放」したのではなく、殺したのかもしれない
そして鳥居は後者の方だと思っているだろう。

――彼女は『異界』に「救い」を見た。
彼は「それでも現世で生きていかなくてはいけない」と言った。
彼女は、彼と居れば「生きる意味」を見つけられると思った。
・・・だが、この世に「生きる意味」は見つからなかった。
この世に居る限り人は苦しみ、いずれ死ぬ。
『異界』に行けばそんな苦悩は無くなるのに、何故現世に留まらなくてはいけないのだ?

仮に―――いや、おそらくそうだろうけど―――『異界』が死後の世界の比喩として、「『異界に行く』事が『死ぬ』事と同義」だとしても、アトルが辿り着いてしまった結論に反論出来るのだろうか?
『異界』に行くと死んでしまう。だけど苦しみからは解放されるのだ。
天保異聞 妖奇士』最大の難問、「自殺はいけない事なのか?」「死は一種の救いではないのか?」
この問いに対する答えは・・・まだ無い。

*1:現実にはどうだったか分からないけど、奇士内では鳥居が肯定している