天保異聞 妖奇士 説七

万物――人が(物理的・形而上的に)「観測」出来る存在には名前が在る。*1
だけど、考えてみれば『二つ名』を持つモノも在るんだよな。
今回の場合、日本に来てからつけられた『雪輪』という名もあるし、元の名である『ケツアルコアトル』という名もある。
そして『神』と呼ばれる存在なら、さらに「名前」を持つだろう。
問題なのは、それらが「偽名」ではなく「本名」という事だ。
どうやら往壓は、一つのモノに対し一つの漢神しか取り出せない様子。
大抵の妖夷なら問題無いけど・・・『神』と呼ばれる存在に対してはヤバそうだな。

――もう雲七という人間は存在しない。
雲七は遠い昔に往壓が殺してしまった。
今居る『雲七』は、チューリング的には『雲七』という同じ「辞書」が使われているが、抽象的自我は存在しないのだ。
だから「往壓が想像出来ない雲七の行動」を、『雲七』はとらない。(或いは予想出来る「予想外の行動」はとれるかもしれない)
・・・ソレを他人が観た場合、雲七と認識出来ないかもしれない。
だけど往壓にとって、ソレは雲七なんだよ!
そして、ケツアルも『ケツアルコアトル』という神ではなく、妖夷(異界の力?)とアトルの感情が混じった「半神」とも言える存在である
故に、『ケツアルコアトル』の姿を持ち、「アトルの想像する」ケツアルコアトルの行動を取っていたが・・・アトルの「不満」や「怒り」等の感情が強くなり暴走した、といったところか。

人間は各々が固有(ユニーク)な存在なので、「同じ」なんて事は無いし、100%分かり合える事も無い。
だけど、それゆえに「普通」なんて無く、「普通」から外れた「特別な者」とか「特異な者」も存在しない。

・・・人は罪を重ねて生きていく。
アトルは「罪を重ね、その罪を忘れて生きていくなんて耐えられない」と言う。
往壓は、その汚い事を積み重ねた者が『大人』だと言うが――そんな嘘、誰も信じちゃいない。
往壓は罪を犯した事を憶えていて・・・しかも一時とて忘れた事はない。
――往壓は常に雲七と居たのだから。
罪を犯した事を忘れても・・・本当に心の底から忘れた事なんて無かったと思う。

篠は雲七の事を忘れ、新しい人生を送っていた。
あの狂気じみた態度は忘れてた事への自己嫌悪と、逆にずっと憶えていた往壓へのバツの悪さから表れたのだろう。
15年間捜していたと、憎んでいたと、苦しんでいたと――無意識に演じていたのだろう。
でも、アトルに核心を突かれた事で正気に戻った。
京極堂風に言えば、「憑き物が落ちた」と言ったところか。

さて、証を消さないのは「過去を忘れない為」の自己満足か、傲らない為の「自己証明」か・・・

*1:・・・『名状しがたいもの』は微妙