「人間」という認識

遺伝子が100%同じ「人間」なんていない。全員1/100、1/1000の誤差があるけど、同じ『人間』と認識している。
だが、指が6本ある人は? 尻尾がある人は? ――彼等も『人間』として認識される。
ならば奇形な人は? 無頭児はどうだろうか?
尻尾がある人も奇形と言えるが、『人間』として認識される。
思考を巡らせれば分かるが・・・つまり度合いが酷くなる程、自分のイメージする「人間像」から離れる程、認識が難しくなる。
無頭児なんて、昔は「蛙」と呼ばれていたのだから、当時の人が無頭児=非人間という認識だった事が分かる。
また、TVで猿等の霊長類が「人の様な仕草」をすると、「人間みたい」とコメントする人がかなり多い。
この事から、観測者の「『人間』が起こすであろう行動・仕草のイメージ」に近づくと、「人間」という認識に近づく。
という定義も想定される。
結論。人は観測者の「『人間像』に近い姿、行動・仕草」が一定の基準を超える存在を、「人間」として認識する。

蛇足

エヴァンゲリオンでも、ほぼ『人間』の使徒をシンジ達は「人間」として認識しなかった。
だが、同じ使徒でも姿や行動が『人間』だった渚カヲルを彼等は違和感なく「人間」として認識していた。