忘却の旋律 最終話&作品自体の感想

初めに言っておくと、自分の感想や考え方は確実にうがった見方をした結果だと思うが・・・最終話を見て、自分にはモンスターキングが「もう一人の神名綾人に見えた。

モンスターキング

まずモンスターキングの存在理由を予想してみる。

  1. モンスターは放っておくと、無秩序に人々を襲って人類を滅亡させてしまうので、統率者が必要
  2. 忘却の旋律を解放(?)すると、モンスターは滅びるけど人々は「猿人」になってしまう。よって仕方無くソロはモンスターキングになった。

・・・結局、「猿人」とはどの様な存在だろうか?
説明されずに終わってしまったけど・・・もしかして猿人とは「自我が無い人間=非観測者」ではないだろうか?
奴隷の様に働かされる猿人――彼らには自我が無いと思われる。
つまり「自我が無い→抽象的自我が無い」となる。
そして、たびたび演出される劇場の「観客」としての猿人・・・。
これらが示す事は「猿人=抽象的自我を無くし、世界を選択(存在)出来なくなった存在」ではないだろうか?
そしてそれは、『モンスターに支配された世界』という環境に、ただ流されて生きる、あの世界の大人を暗喩しているのだろう。(いや現実世界でも同じか・・・)
要するに、忘却の旋律を解放すると全人類が猿人になってしまい、世界が消失してしまうのだ。
結局、現在の状況では、世界を消滅させるか、モンスターに支配されるかの2択しかない。
ただ、モンスターの存在が未だによく分からない。
曰く、モンスターはずっと昔から存在したのだという。しかし今まで人類には見えず、ある時から急に人類に姿を現した。
・・・全く根拠の無い想像だけど、今まで人はモンスターのいない世界を観測し続けていたのではないだろうか?
しかしある時、人間の意思=世界を選択する力が弱くなって、モンスターが観測していた世界と重なってしまい、モンスターが「出現」した。
そしてモンスターは当然の様に、自分達にとって邪魔(他の観測者が居ると都合の良い世界を創れない)となる人類を滅ぼそうとした。
そういう事ではないだろうか?
しかし双方にとって予想外な事に、モンスターの出現という環境の変化によって「メロスの戦士」という「力=意思(自我)=世界選択能力」が強い人間が現れた。
初めのモンスターキング=最も「強い」メロスの戦士は、その力で「(モンスターに支配されるとはいえ)人類が存続する世界」を選択した。
結局モンスターキングの役割とは、人類が滅びない様にモンスターを操作し、メロスの戦士の様な意志の強い人間を増やし、人類全体の「抽象的自我」を強化することだ。
しかし人類は、そんな思惑とは逆にモンスターに支配される事を受け入れ、あまつさえ救世主たるメロスの戦士を排斥し始めた。
そしてモンスターキングは、自分達で世界を選択する事が出来ない人類に代わって、「人類の存在する世界」を観る観測者(ラーゼフォンで言うところの神)になった。

最終話&ソロ(3世)についての感想

ソロは人類の為に「モンスターキング=神」となった。
しかし恋人は只の人間で、地球の中心(?)=観測室=時系列(因果律)が狂った世界に耐えられず死んでしまった。
そしてソロは忘却の旋律」という「自分の中の恋人像」を具現化した。
――自らの意志で世界を選択するとは、自分の理想の世界を観測する事であり、「モンスターキング=神」とは、自分の観測した世界を他人にも観測させる者。
つまり自分の理想を具現化できると言える・・・トオモウ
だが、「忘却の旋律」はソロの言う通り「他者」とはなり得ず*1神という孤独にソロは耐えきれなくなった。
・・・もしかするとソロは、支配を受け入れてしまった人類に絶望し、永遠に観測し続けなければいけないことを恐怖して、そのことに耐えきれなくなったのではないだろうか・・・
そしてボッカをモンスターキングになるよう誘うが・・・もちろん断られる。
―――思うに、モンスターキングが居なければ世界が滅ぶ事を教えていれば、まだ変わったのではないだろうか?
言わなかった理由は――やっぱりソロにとって人類なんてもうどうでもよくって、ただ孤独を癒したいだけだったからか?
最後、「忘却の旋律」は自らの意志でソロを庇い矢を受ける。
――結局「忘却の旋律」は妄想なんかじゃなくて、「ソロの恋人の意識を持った存在」=「他の観測者」だったのだろう。・・・少なくとも自分はそう思う。
ソロは独りじゃなかった。だけど・・・ずっとその事に気付かなくて・・・気付かないから本当に独りだった・・・
その姿が悲しくて・・・自分はそこにもう一人の綾人を見た。

*1:・・・少なくともソロにとっては理想の実現=妄想に過ぎなかった