蒼穹のファフナー 第15話 感想
やはりフェストゥムにも、独自の経験、感情により『個』が生まれるのだろう。
ミョルニア*1の言う通り、言葉というコミュニケーション手段を用いる事自体が、自分と他人という『別の存在』が居るという事の証である。
一騎は行き場の無い罪の意識*2が、強い自己否定に向かっていたのだろう。
しかしそれは不完全な記憶による、只の罪業妄想だった・・・
また総士にとって、過去の事件は違う意味合いを持つものだった。
総士にとっての傷跡は、傷つけた他人(一騎)と傷つけられた自分(総士)が、間違いなく「存在する」という証になった。
それまで希薄だった総士という存在を、文字通り刻み込んだものだったのだ。