ニュートン

今週のニュートンに「時間」についての特集があると、友達よりメールが入る。

どうやら「歴史の変更」についての科学的見地は「絶対に変えられない」か「別の宇宙に枝分かれする」のどちらかしかないらしい。



んで、ここで疑問。

「分岐宇宙(俺的仮名)」って科学的、論理的にはどう説明されるのか?

枝分かれする宇宙のモデルは「この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO」のモデルで考えれば問題ないと思う。しかし感覚的には分かっても、ロジカルには説明できない。

多世界解釈を知っている今は特に。



そんな訳で友達と小一時間話し合う。



どうやらジュリアン・バーバーという人が提唱した「プラトニア(相対的配置空間)」というのが自分的にはイメージに近いらしい。

プラトニアというのは、簡単に言うと世界に時間なんて存在しなくて、空間が映画やアニメのフィルムの様に連なっているだけらしい。

そして我々はその空間を渡り歩いているとの事。

これなら、なんとなく納得。コペンハーゲン解釈の粒子をフィルムに置き換えればいいのだろう。



その他いろいろな世界モデルを聞いて何となく思った事。

結構科学者の中にも、「世界」は脳内で補完されているという考えがある様子。

やはり「ソラリス」の様に、全ては錯覚に過ぎないんだろうなぁ。